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2012年 01月 31日
2012年 01月 31日
セカイ系 (セカイけい)とは、アニメ・漫画・ゲーム・ライトノベルなど、日本のサブカルチャー諸分野における物語の類型の一つである。定義が明確に為されないまま、主にインターネットを通じて広がったため、意味するところは諸説あるが社会学、現代文学論、サブカルチャー論などで様々に言及されている。 初出と初期の用法 セカイ系という言葉の初出は2002年10月下旬のことで、インターネットウェブサイト『ぷるにえブックマーク』で現れたとされている[1]。 この言葉は当初、その当時に散見されたサブカルチャー作品群を揶揄するものであった。「一人語りの激しい」「たかだか語り手自身の了見を「世界」という誇大な言葉で表したがる傾向」がその特徴とされており[2]、ことに「一人語りの激し」さは「エヴァっぽい」と表現されるなど[3]、セカイ系という言葉で括られた諸作品はアニメーション『新世紀エヴァンゲリオン』の強い影響下にあると考えられ、「ポストエヴァンゲリオン症候群」とも呼ばれていた[4][5]。この「セカイ系」という言葉はインターネット上で2003年の前期に流行したとされているが[6]、後になって、この時期の言説を検証した前島賢は「『新世紀エヴァンゲリオン』の影響を受け、1990年代後半からゼロ年代に作られた、巨大ロボットや戦闘美少女、探偵など、オタク文化と親和性の高い要素やジャンルコードを作中に導入したうえで、若者(特に男性)の自意識を描写する作品群」と総括している[7]。 東浩紀らの定義によるセカイ系 [編集] インターネット上で流通した「セカイ系」という言葉が活字出版物上に現れるようになったのは2004年の頃からだとされているが[8]、これ以降はインターネット外でも様々に論じられるようになる。その際、盛んに参照されたのは、サブカルチャーを論じる評論家として注目を集めていた東浩紀を中心に発刊された『波状言論 美少女ゲームの臨界点』編集部注によるもので、それによればセカイ系とは「「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」であり、代表作として新海誠のアニメ『ほしのこえ』、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作があげられた[9]。「世界の危機」とは全世界あるいは宇宙規模の最終戦争や、異星人による地球侵攻などを指し、「具体的な中間項を挟むことなく」とは国家や国際機関、社会やそれに関わる人々がほとんど描写されることなく、主人公たちの行為や危機感がそのまま「世界の危機」にシンクロして描かれることを指す[10]。セカイ系の図式に登場する「きみとぼく/社会領域/世界の危機」という3つの領域は、それぞれ「近景/中景/遠景」(別役実による)や「想像界/象徴界/現実界」(ジャック・ラカンによる)といった用語に対応させて言及されることもある[11]。こうした「方法的に社会領域を消去した物語」はセカイ系諸作品のひとつの特徴とされ[12]、社会領域に目をつぶって経済や歴史の問題をいっさい描かない点をもってセカイ系の諸作品はしばしば批判も浴びた[13][14]。つまりこの時期にはセカイ系とは「自意識過剰な主人公が、世界や社会のイメージをもてないまま思弁的かつ直感的に「世界の果て」とつながってしまうような想像力」で成立している作品であるとされている[15]。これらのセカイ系作品においては、世界の命運は主にヒロインの少女に担わされる。「戦闘を宿命化された美少女(戦闘美少女)と、彼女を見守ることしか出来ない無力な少年」というキャラクター配置もセカイ系に共通する構図とされている[16]。世界の危機と平行して、この傷ついた少女(=「きみ」)と無力な少年(=「ぼく」)との恋愛が学園ラブコメディとして描かれることも多く、このため「きみとぼく系」と呼ばれることもあった。さらに、ごく乱暴に「セカイ系とは『学園ラブコメ』と『巨大ロボットSF』の安易(ゆえに強力)な合体であって、つまり『アニメ=ゲーム』の二大人気ジャンルを組み合わせて思い切り純度を上げたようなものである」とも説明されることもあり[17]、こういった極小化された「きみとぼく」の純愛世界と誇大妄想的な「世界の危機」がシンクロして物語が進行する奇妙さがセカイ系の特徴とされていた。これらの「セカイ系」の用法においても、『新世紀エヴァンゲリオン』の強い影響があったとする見方は持続している[18][19]が、その一方で「きみとぼく世界」+「世界の破滅」という構造はギャルゲー/アダルトゲーム特有の方法として現れたとする見方も提出されている[20]。これらのセカイ系作品については前述したように社会領域を描いていない点を批判された他、コバルト文庫の看板作家だった久美沙織はセカイ系作品をとり上げた際に、少年が戦闘せずにそれを少女に代行させ、その少女から愛されて最後には少女を失うという筋書きは「自分本位の御都合主義で、卑怯な責任放棄」に過ぎないと述べ[21]、評論家の宇野常寛は「母性的承認に埋没することで自らの選択すらも自覚せずに思考停止」していると断定した[22]。 2012年 01月 30日
ヒトラーの絵画に323万円=スロバキアで競売 【ブラチスラバAFP=時事】青年時代に画家を目指していたナチス・ドイツ総統ヒトラー(1889〜1945)が1913年に描いた作品「夜の海」が29日、スロバキアのインターネット・オークションに掛けられ、3万2000ユーロ(約323万円)で落札された。満月とその光に照らされた夜の海を描いたもので、スロバキアの画家の一族が売りに出した。この画家は、芸術家として大成することを夢見ていたウィーン時代のヒトラーと交際があったとみられている。昨年もこの一族から、ヒトラーの別の作品が売りに出された。今回の競売を主催したオークションハウスのオーナーは「私はヒトラーを画家として見ている。この絵を描いた時、ヒトラーは未来の自分がどんな人物になっているか知らなかった」と話している。 2012年 01月 30日
マンガにみる「天才主人公」の残酷さ 持って生まれた天才主人公の対局をいく「努力することの天才」、『キャプテン』の谷口くん。私はこのマンガに何度泣かされたかわかりません。マンガにはいろんなジャンルの「天才主人公」がいるが、彼らに共通して言えるのは、ピュアで無邪気で、他者に対して無神経で残酷な人が多いということ。たとえば、『ドラゴンボール』の孫悟空は、純粋に戦いを愛するあまり、その他のこと、たとえば結婚・家庭などにまるで頓着がなく、嫁も子どもも常に「放置プレイ」であった。 自分より強そうな相手にしか興味を持たない悟空にとっては、サイヤ人の王子・べジータですら、興味の埒外。そんな純粋さに、何度、べジータは敗北感を味わってきたことかわからない。また、『少年サンデー』で連載を終了したばかりの『焼きたて!! ジャぱん』の天才主人公・東和馬も、能力の劣る凡人・河内に対しては、戦友というより「道具」扱い。目の前に困難がたちはだかったとき、共に戦おうと、傍らでうろたえる河内に対し、「なんとかなるじゃろ」と東は軽く流すだけ。手の内を明かさず、相談もせず、利用するところだけして、ちゃっかり勝利してしまうのである。思えば、“日本初のグルメマンガ”といわれる『包丁人 味平』の主人公・味平も、天才ゆえに「オレは西洋料理人でも日本料理人でもない! 美食人だ!」と傲慢にも思える主張をし、カレーやラーメンづくりのイロハも知らないくせに、堂々とその道の手練れたちに戦線布告する。そして、日ごろ真面目にその道一筋で頑張る職人さんを前に、「(ラーメンの)麺を粉からつくるなんて!」とか、かん水を見て「この水みたいなもんはなんだろう?」と無邪気に聞きつつも、わずかばかりの経験と、持って生まれた天才的センスだけで打ち負かしてしまう傲慢さ・残酷さに、天才はまるで気づかない。これは少年マンガの世界だけでなく、『ガラスの仮面』における天才女優・北島マヤもまた、同じだ。家柄にも容姿にも恵まれたライバル・姫川亜弓に対し、敵対心を持つようなら、まだかわいげがある。でも、マヤは必死に演じる亜弓に対し、「美しい……さすがだわ」などと無邪気にほめたたえつつも、自分の演技をたった一言「〇〇(役)だったらこうしたと思ったから」とサラリ。「一生懸命演じなくても、なりきってしまう」天才ぶりを何気なく残酷に突き付け、亜弓にいつも「マヤ……おそろしい子!」と言わせてしまうのだ。思えば、マンガだけでなく、映画『アマデウス』では、サリエリが必死で作り上げた曲を、まだ幼いモーツアルトが1度聴いただけでコピーしたり、さらには「サリエリ風」などとパロディまで瞬時に作ってしまうことに、サリエリが嫉妬と憎しみを燃やすわけだが、こうした天才の残酷さを考えれば、サリエリのほうに共感を抱かずにはいられない。そう、『ドラゴンボール』でいったら、べジータのほうがよっぽど人間くさいし、また、サイヤ人の域にはまるで到達しないながらも、自分なりの修業をコツコツ続ける天津飯のほうが、美しいのではないだろうか。天才の活躍の陰で、泥くさく努力するライバルキャラ。目線をその悲劇の人たちに向けてみると、物語がまた別の味わいを帯びてくるはずだ。 (田幸和歌子) 2012年 01月 29日
ヒト 生物学におけるヒトとは、生物の一種であり、動物界後生動物亜界脊索動物門羊膜亜門哺乳綱真獣亜綱正獣下綱霊長目真猿亜目狭鼻猿下目ヒト上科ヒト科ヒト下科ホモ属サピエンス種サピエンス亜種に属する種である。「ヒト」はいわゆる「人間」の生物学上の標準和名である。生物学上の種としての存在を指す場合には、カタカナを用いて、こう標記することが多い。その学名「Homo sapiens」(ホモ・サピエンス)は「知恵のある人」の意味である。この項では、人の生物学的側面について述べる。ヒトの進化については「人類の進化」および「古人類学」の項目を参照のこと。 なお、化石人類を含めた広義のヒトについてはヒト亜族を参照のこと。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ヒトの生殖と子育て 規範的配偶 ヒトの性的活動は非常に活発である。ほとんど年間を通じて性交が行われ、他の動物とは異なり出産の時期も決まっていない。ホモ・サピエンスのオスは、一般にメスに比して強い性的嫉妬心を持ち、ペアとなるメスと他のオスとの交尾により、メスへの性的支配権が犯されることに敏感である[13]。これは後で述べるように、ホモ・サピエンスの生殖や子育てにおける規範の形成に大きく関係している。ホモ・サピエンスのオスが性的魅力のあるメスを選ぶ基準は文化により、時代により、個人により多様であるが、各個人の平均を取れば普遍性の有る枠内に従っている。一般に、乳房の発達が一定水準を超え、かつ腰よりも尻のふくらみが顕著なメスを、性的魅力のあるメスとして好む傾向がある[14]。これは二足歩行により他の個体が女性生殖器を目視しにくくなった結果、代替的にセックスアピール法として進化したと考えられている。雌雄個体間での性交による受精の確率は必ずしも高くはなく、同一のペアの間で何度も繰り返されるのが普通である。そのためホモ・サピエンスのセックスは、単なる受精のみを目的とするのではなく、性的快感を通じて互いの親しみを増すはたらきも重要な目的として持つように進化したと、一般的には考えられる[15]。特定の雌雄ペアは一定期間持続するが、どの程度続くかにはさまざまな場合がある。そのような関係が一定の形式で維持されることを婚姻や結婚と言うが、集団の中で公的に認められるために、それぞれの文化において、さまざまな形の儀礼がある。しばしば、同性個体間(同性愛)においてもこのような関係が見られるが、多くの文化において雌雄個体間におけるそれとは、異なる扱いを受ける。しかし、これにもさまざまな例外があり、ペア同士の同意により相手を特定しないとするオープンマリッジ、民族的な違い(複婚・重婚)、または売春が見られるのも通例である。動物における社会の構成は、その動物の生殖にかかわる性のあり方に大きく影響されるから、ヒトの場合に、本来はどのような配偶関係であったのかを論じるものは多い。現実の様々なヒトの社会を見れば、一夫一婦制、同性結婚、一夫多妻制、一妻多夫制、そしてわずかながら乱婚やハレムのいずれも、その実例がある。しかしヒトはボノボほど乱婚ではないし、ゴリラほどハレム制が一般的に見られるわけでもない。また、同一社会でもその階層などによって異なる形が見られることも珍しくない。一般的にいえば、ホモサピエンスのオス・メスの性的結合は、オス・メスが一対一で結合する一夫一妻制を基本としており、この形をとる個体がほとんどである。しかし、ホモ・サピエンスのオスには多くのメスと交尾したいという欲求を表す傾向があり、またホモサピエンスの社会は基本的にオス優位[16][17]であるため、オスの性的欲求に対してはメスのそれよりかなりの程度寛大である傾向がある。それにもかかわらず、ホモ・サピエンスの社会において一夫一妻制が主流なのは、第一にホモ・サピエンスの全個体数におけるオスメスの比はほぼ完全な1対1であること。第二にホモ・サピエンスのオスは現存する近縁種のオスに比べてかなり積極的に子育てに参加し、その資源コストの多くを負担する傾向があるため[18]、オスの利用できる資源が少ない場合に一夫一妻でなく一夫多妻をとれば、子育てのコストをまかないきれず共倒れになる危険があるからである[19][20]。ゆえに、ホモ・サピエンスの本来的生活形態である狩猟採集生活を送り、富の蓄積が比較的少ない社会では、少数の有力なオス個体が2,3匹のメスに対する性的資源支配権を行使する程度の一夫多妻制が見られるのみである[21]。しかし富の蓄積が大きい社会では、多くの資源を利用できる高い地位のオス個体が、より多くのメスに対して性的支配権を行使し、社会の最上位のオスにいたっては、純然たるハレム制に近くなることも少なくない。一夫多妻制への対応は文化差があるが、この制度を利用できるオス個体は社会全体のオス個体の生息数から見れば、非常に少数である。また、これと逆に社会の中で劣位のオスが、最低限の交尾の機会を得る手段として、一匹のメスに対して複数のオスが性的資源支配権を行使することがある。オス同士の連合とメス一匹の結合が一夫多妻や一夫一妻同様持続的な性的パートナーシップである場合、これを一妻多夫制と呼ぶが、これは一夫多妻制と比べてもきわめて稀である。通常は、この場合一匹のメスに対する性的資源支配権を、複数のオスが時間をずらして行使する形をとり、これを売春と呼ぶ。ホモ・サピエンスにおけるオスのメスに対する性的支配権の重視から[22]、一般的に売春を行うメスは、一夫一妻や一夫多妻のように、一匹のオスに性的支配権をささげるメスよりも低く見られ、売春で交尾の機会を得るオスも、売春を行うメスを尊重する傾向は弱い。売春はホモ・サピエンスの近縁種ボノボにも見られる。また一見乱婚と見られる場合も、決して野放図に交雑が行われているのではないことに留意する必要がある。例えば、イヌイットにおける客人への妻の提供、もしくは日本の農村で見られた、夜這いや、歌垣(祭礼での乱交)も、その対象は限られたコミュニティ内に限定され、かつその方式や時期・程度なども含めて規定され、厳格に(オス中心の秩序の中での)互酬制が適用される。またこれらの制度における性的自由も、あくまでオスのメスに対する性的資源支配権という同一の基盤を基にしており、オス中心でメスの意思への配慮は二義的である。夜這いについては、当該メス個体の性的資源支配権を獲得したいと願う個体と、そのメスの性的資源保護権を有するオスの個体(多くの場合父や兄)の合意があれば、当該メス個体の意思にかかわらず認められることが多い。また、イヌイットの妻の提供も、あくまでそのメスの性的資源支配権を有する夫が、恩恵もしくは歓待の意思により、相手のオスに一時的にメスの性的資源使用権を与えるというもので、メスの意思は二義的である。かつてのホモ・サピエンス社会における親の意思による強制結婚も、このようなメスの意志を二義的とする性的資源所有権の取引の結果である[23]。確実に言えるのは、これらのどれかを持つ、あるいはそれらのある組み合わせを持つヒトの社会が実在すること、そして、おそらくどの場合も、その内部に多くの例外や逸脱が存在していたであろう、ということである。しかし、一般的にまとめれば、一夫一妻を基調としつつ、有力なオスに限り一夫多妻が可能とされ、また補助的に乱交や一妻多夫、売春等を認めるのが、ホモ・サピエンスの配偶に関する規範の一般的傾向といえる。これは生物学的に見て、ホモ・サピエンスのオスは近縁種のオスほどではないにしろ、メスに比べて大柄であることからも推察できる[24][25]。また、個体差は大きいが、ホモ・サピエンスのオスは、一般に過去自分以外のオスと交尾をしなかったメス(処女)に対して、性的にプラスとなる他の条件がまったく同等ならそちらが交尾の相手としてより良いメスとみなす傾向を持つ[26]。そのため、処女を失ったメスに対する差別的な取り扱いを行う社会もある。また、オスは年を重ねた後も、性的価値のあるメスをセックスの相手として好む傾向があり、中にはこれで雌雄ペアの結合が破壊されることもある[27]。これらのオス・メスの差別に対し、近年ではこれを是正し、オスメス対等の性的関係をつくり、かつ一夫一妻制に統一しようという文化的動きが強いが、完全ではない。 非規範的配偶 ホモ・サピエンスの社会において、正当なメスに対する性的資源支配権の獲得手順を踏まずに、その社会のメスと交尾を行ったオスは、当該メスの性的資源支配権もしくは保護権を有するオスの権利を侵害したとして、社会から制裁を受ける。これを婚外セックスといい、浮気などが代表例である。しかし、これについては、浮気に応じたメス個体についても同時に制裁がなされることが少なくなく、更にオス個体の側が『メスが誘惑した』と主張することも多いため、実際の制裁では、メスの方に重い罰が課されることも少なくない。また、その交尾がメスの意思を無視したレイプであった場合は、オスのみが厳罰に処されるとするのが、多くの社会における一応の規範ではあるが、ここでもオスの側は、『同意の上』『メスが誘惑した』と主張することが多く、このような言い逃れで実際にはレイプであっても考慮されない場合も少なくない。また、これらはすべて、その社会の構成員である成熟したオスによって、性的資源を所有または保護されているメスに関して、その権利を犯したことに対する罪であり[28]、メスの意思は二義的である。ゆえに、そのような庇護を持たないメス個体に対しては、たとえレイプであっても容認または黙認する傾向が強い。とりわけ、他の集団との戦争状態下では、多くの場合成熟した若いオスからなる戦闘集団(兵士)が、相手の集団に属するメスをレイプすることが多く、またそれが戦争における『男らしさ』(オスらしさ)の高い表現であるとみなされる傾向がある[29]。これは、ホモ・サピエンスには『われわれとやつら』という基準があり、『われわれ』を倫理的に『やつら』よりも優遇するためである[30][31]。故に相手のメスがたとえそちらの社会で正当なオスによる庇護を受けていても、当該戦闘集団の属する社会においては、それは無価値であるとみなされ、かつメスの意思そのものへの配慮もより一層弱くなり、故に当該メス個体に対し性的資源支配権を自由に行使してよいとみなす傾向があるからである。ただしこれも、戦争が終わった後相手の集団がこちらの集団に併合され、『やつら』から『われわれ』に変わる場合があるため、戦争行為を統括する高い地位のオスは、ある程度レイプを抑制する命令を出すことも少なくない。集団間での闘争におけるレイプや虐殺は、その萌芽と取れるものがチンパンジーにも存在している[32]。メスの意に反した交尾であるレイプは、当該オス個体の性的欲求の解消と、当該オスによる当該メスに対する威圧の両面を含んでいる。レイプの対象となるメスの年齢は幅広く、特に戦時には子供から老人にまで及ぶが、同時に内訳を見れば、大多数が性的に成熟した10代から20代のメスである[33]。『われわれ』の集団のメンバーである成熟したオスによって庇護されていないメスへのレイプに関して、ホモ・サピエンス社会の伝統的規範では普遍的に黙認、または承認される傾向があり、実際にそのようなレイプが多いことから、レイプの中でも、この種のレイプは進化的に適応的であるという指摘も有る[34][35]。これらの事例について、現代ではそのような規範を改め、メスの意思と尊厳を重んじ、メスの意思を無視したレイプ・性的暴力を、平時・戦時下問わず厳しく取り締まるべしという文化的・思想的考えが広まり、世界的に一応の規範となっているが、いまだ現場レベルでは完全ではない。また、生殖から逸脱した性的関係として同性愛(homosexual)が生物学において特に高等哺乳類で広く認知されており(動物の同性愛を参照)ホモ・サピエンスにおいては人口の約6パーセントに同性愛的傾向が認められるという調査結果が公表されている(Wellings.1994 イギリス)。但し、この結果には両性愛(bisexual)や機会的同性愛に基づくものを含む。またその比率には社会的、文化的影響が大きいとされ、その他実施された多くの調査結果の閾値は2-13%である。またオスに限れば、有史以来同性愛が制度化された例が多数存在し、現代では一部の地域において同性結婚が認可されている(スペインやオランダ、カナダなど) 。これは、同性間の配偶に規範的性格を与えたものであり、世界的には寛容になる傾向であるが、一方で宗教的理由において重刑を課す国家も残っている。(サウジアラビア、イランなど) これに加え、性的少数者に含まれるトランスジェンダーやインターセクシュアル(半陰陽)。潜在的に相当数存在する、他者に対して恒常的に恋愛感情や性的欲求を抱かない無性愛者についても留意する必要がある。 親子関係 ホモ・サピエンスの子育てでは、一般に母親のほうが父よりも相対的に子供と密着した感情的・物理的関係を持つことが多い[47]。しかし、オス親も近縁種に比すればより強い子供との結びつきを持つ[48][49]。ホモ・サピエンスの祖先や現存する近縁種の多くには、子殺しの習慣があり、親(多くの場合オス親)にとって不利益となる子供は、殺されることが少なくない[50]。ホモ・サピエンスの親子の間でも、親の命は子の命より尊く、親(とりわけオス親)は文字通り子の生殺与奪の大権を有するというのが普遍的傾向である。ホモ・サピエンスの親子の関係は、他の近縁種における親子よりもより強く、長い絆で結ばれており、この大権が露骨な形で振るわれることは少ないが、それでも親からして、子の意思または行動、更には存在自体が親の利益にあまりにも反する場合、親は容赦なくこの大権を行使し、子の人生のありかたを強制したり、暴力的制裁教育を与え、はなはだしくは中絶・間引き・虐待等で子の命を奪うことも、決して稀ではない[51]。更に、子殺しに際しても、オスメスで命の価値の格差があり、一般に子供がオスの場合より、メスの場合のほうが、他の条件がまったく同等の場合、子殺しへのハードルが低い。また、ただ単にこの大権を行使する他の近縁種と、ホモサピエンスとの最大の違いは、ホモサピエンスはこの大権の行使に関して、これを正当化する理論・思想を、高い知能を用いて編み出したことである。これは儒教の『孝』が良く知られているが、それに限らず普遍的である。この種の思想により、たとえ子の実力が親を凌ぐまでに成長し、親が老いて力を失っても、親は多くの場合子に対する支配権を一定程度存続させることができる。とはいえ、子による親殺しもまた、子殺しほどではないにせよ、普遍的に見られる。しかし、そのような大権の行使という危険性はあるが、多くの場合ホモサピエンスの親子の間柄は、強い絆と情愛で結ばれ、子供の生育に対して親の庇護が有益な役割を果たしているのも事実である。近年ではこのような大権自体を制限し、子供の人権を守ろうとする思想・文化が広まり、世界的に一応の規範となっているが、完全ではない。 2012年 01月 29日
「ピンぼけ」度で距離を正確に測るハエトリグモ ![]() 素早く飛びかかって餌のハエを捕らえるハエトリグモの目は、一つの物体をピントが合った像とぼやけた像の2通りで同時にとらえ、その「ピンぼけ」の度合いから物体との距離を正確に測っていることを、大阪市立大学の寺北明久教授らが突き止めた。こうした視覚の仕組みがわかったのは初めて。ロボットなどへの応用も考えられるという。27日付の米科学誌サイエンスに発表した。人や多くの動物は、左右の目のわずかな見え方の違いから対象物までの距離を測り、奥行きを知覚する。寺北教授らは、ハエトリグモの目の網膜における光のとらえ方を分析。網膜は4層構造をしており、焦点がピタリと合う層とぼやける層があることがわかった。ピンぼけの程度は遠くのものほど小さく、近くのものほど大きくなるため、この違いから距離を測るらしい。このクモには目が八つあるが、奥行きを知覚できるのは正面の二つだけだった。 2012年 01月 27日
トゥルーデおばさん ドイツ 『グリム童話』(KHM43) 昔、わがままで詮索好きの娘がいた。両親が何を言っても聞き入れることはなかった。どうしてこれで良い結末が迎えられるだろうか?ある日、娘は両親に言った。「私、トゥルーデおばさんの話を聞いたの。ちょっと行ってみるつもり。みんなが言うには、すごく変わってるんですって。家の中にはそれは珍しいものがあるってことだわ。だから行ってみたくてたまらないのよ」 両親は厳しく止めた。 「トゥルーデおばさんは邪悪な女だ。神をも信じぬ奴なのだよ。そんなところに行くなら、もうお前はうちの子じゃない」だが娘は決して聞き入れずに、がむしゃらに飛び出して行った。彼女がやって来ると、トゥルーデおばさんは尋ねた。「お前、どうしてそんなに青い顔をしているんだい?」「ああ」と娘は答え、ガタガタと震えた。「私、自分が見たものが怖くてたまらないの」「何を見たんだい」「ここの梯子のところで、真っ黒い人を見たのよ」「そりゃあ、ただの炭焼き男だよ」「それから、真緑の人を見たわ」「そりゃあ、ただの狩人だよ」「それからね、血みたいに赤い目の男を見たのよ」「そりゃあ、ただの肉屋だよ」「ああ、トゥルーデおばさん。とっても怖いの。窓から見たらおばさんはいなくて、頭が燃える火のような鬼がいたわ!」「おや、そうかい」とおばさんは言った。「それならお前は、正しく着飾った魔女を見たのだね。私はお前がここに来るのをずっと前から待っていた。お前が入用なのさ。お前、光っておくれでないかえ」こう言ったかと思うと、トゥルーデおばさんは娘を一本の薪に変えて火の中に投げ込んだ。それがごおっと赤く燃え上がると、火の側に腰を下ろして体を温めながら言った。 「どうだい、恐ろしく明るいじゃないか」 参考文献 「Frau Trude」/『maerchenlexikon.de』(Web) 『完訳 グリム童話集』 金田鬼一訳 岩波文庫 1979. トゥルーデおばさんは《魔女 Hexe》らしいが、窓から透かし見ると燃えるような頭の《鬼 Teufel》がいたと言う。《Teufel》とはデビル、悪魔/魔王/悪人のことだ。一体彼女は何者か。そして彼女の家の階段のところにいたという黒い人、緑の人、赤い人とは何を意味しているのか。この話だけ読むと、確かに意味不明である。しかし類話を並べると、もう少し見えてくるものがある。 うるわしのワシリーサ ロシア(AФ104) 昔、ある国に商人がいました。結婚して十二年目に奥さんが亡くなり、《うるわしのワシリーサ》という一人娘が残されました。この時、ワシリーサはまだ八歳でした。死ぬ前に母親はワシリーサを枕元に呼ぶと、布団の下から人形を取り出してこう言いました。「ワシリーサ、お母さんの最後の言葉をよく覚えておおき。お母さんはもう死にますが、お前を祝福して、ほら、この人形をあげます。いつも肌身離さず持っていて、誰にも見せないようにするんですよ。何か困ったことが起きたら、お人形にご馳走して相談なさい。お人形はお腹がいっぱいになると、きっとあなたを助ける方法を見つけてくれるでしょう」 言い終えて娘にキスをすると、母親は息を引き取りました。 商人はたいそう嘆きましたが、やがて新しい奥さんを迎えることを考えるようになりました。彼は立派な人物でしたので後妻のきては沢山ありましたが、中でも一人の未亡人が気に入りました。彼女にはワシリーサと同じ年頃の娘が二人おり、良い母親になってくれるだろうと思ったのです。ところが案に相違して、彼女は良い継母にはなりませんでした。村一番の器量よしのワシリーサを妬んで、仕事という仕事を押し付け、二人の娘たちと共にワシリーサを苛めるようになったのです。ところが、毎日黙って働き続けているはずのワシリーサは日ごとにふっくらして美しくなり、王侯貴族のように何もしないでふんぞり返っている継母と娘たちは、歪んだ心そのままに筋張って醜くなっていきました。その秘密は、ワシリーサの母親が遺した人形でした。ワシリーサは自分は食べないでも食事の美味しいところを残しておいて、皆が寝静まった頃、寝起きしている物置部屋で人形にそれを食べさせるのです。そして語りかけました。「さあお人形さん、食べてちょうだい。そして私の悩みを聞いて。私はお父さんの所にいるのに何の楽しみもないの。意地悪な継母さんは私をこの世から追い払おうとしているの。ねえ、教えて。どうすれば生きていられるの。私は何をしたらいいのかしら」人形はお腹がいっぱいになるとワシリーサに知恵を与えたり慰めたりしました。そして翌朝には、ワシリーサに代わって、畑の草取りも、キャベツの水やりも、水汲みも、ペチカの焚きつけも、どんな仕事でも片付けてくれるのです。だからワシリーサは、涼しい木陰で休んで花でも摘んでいればよかったのでした。おまけに人形は日焼け止めの薬草まで教えてくれました。人形との日々はワシリーサにとって幸せでした。こうして何年か経ちました。ワシリーサは嫁入りする年頃になり、町の若者たちはこぞって結婚を申し込みましたが、継母の娘たちには目もくれません。おかげで、継母は今までよりもきつくワシリーサに当たるようになりました。「上の娘たちより先に下の娘を嫁にやるわけにはいきませんよ」と若者たちを追い返し、ワシリーサを打[ぶ]っては腹いせをするのです。そんなある日、商人は仕事で長い間留守をしなければならなくなりました。そこでその間、継母は娘たちを連れて別の家に仮住まいすることにしましたが、この家の側には深い森があり、森の中の草地には小屋があって、小屋にはババ・ヤガーが住んでいました。この妖婆は誰も自分の小屋には寄せ付けず、迷い込んだ者があれば雛鳥のように食べてしまうというのでした。新しい家に落ち着くと、継母は何かと用事を作ってワシリーサを森へやりました。ババ・ヤガーに食べられてしまえばいいと思っていたのですが、彼女はいつも無事に帰ってきました。というのも、人形が正しい道を教え、ババ・ヤガーの小屋へ近づくことがないようにしていたからです。秋になったある夜、継母は自分の娘の一人にはレース編みを、もう一人には靴下編みを、そしてワシリーサには糸紡ぎをさせて、寝るまでに仕上げておくように言いつけました。そして娘たちが働く部屋の一本だけを残して家中の蝋燭を消し、そのまま寝てしまいました。そのうち蝋燭が燻り出したので、継母の娘の一人が蝋燭の芯を切ろうとしましたが、その時に間違って火を消してしまいました。……実はこれは継母の言いつけだったのです。「あら、どうしよう」と姉たちは言いました。「家中探しても火種はないわ、まだ仕事が済んでいないのに。こうなったらババ・ヤガーのところに火を貰いに行くしかないわね」 そしてレース編みをしていた方が言いました。 「私はピンが光ってくれるからいいわ」 靴下編みをしていた方も言いました。 「私もいいわ。編み針のおかげで明るいんだもの」 「「ワシリーサ、あんたが火を貰いに行くのよ。ババ・ヤガーのところへ行きなさい」」 二人は声を合わせて、ワシリーサを部屋から押し出しました。 ワシリーサは自分の物置部屋に戻ると、人形の前に食べ物を並べて言いました。「さあ、食べてちょうだいお人形さん。そして私の悩みを聞いて。継姉さんたちが火種を取りにババ・ヤガーのところへ行けって言うの。ババ・ヤガーはきっと私を食べてしまうわ」ご馳走を食べた人形の目は、二本の蝋燭の灯のように輝き始めました。「怖がらないでいいのよ、ワシリーサ! 行けと言われたところにお行きなさい。ただ、私を肌身離さず連れて行くんですよ。私がいればババ・ヤガーも手出しはできないんですから」ワシリーサは支度をすると、人形をポケットに入れ、十字を切って、奥深い森へ入って行きました。ぶるぶる震えながら歩いて行くと、突然、ワシリーサの側を騎士が駆け抜けました。白い顔に白い装備、白い馬で馬具まで真っ白でした。すると夜が白々と明け始めました。もうしばらく行くと、今度は赤い顔に赤い装備、赤い馬に乗った騎士が駆け抜けました。すると日が昇ったのが分かりました。ワシリーサは一晩と一日歩き続け、あくる日の夕方に、やっとババ・ヤガーの小屋の建つ狭い草地に辿り着きました。小屋の周囲には人間の骨で出来た柵が巡らされ、その一本一本の杭の先には両目をつけたされこうべが突き刺さっていました。門柱は人間の足、閂(かんぬき)は人間の手、錠前は鋭い歯が生えたままの人間の顎でした。ワシリーサが恐ろしさで気を失いそうになった時、不意に、黒い顔に黒い装備の騎士が、黒い馬にまたがって駆け抜けていきました。彼がババ・ヤガーの小屋の門の近くで地に呑まれるように消えうせると同時に、辺りは闇に包まれました。夜になったのです。けれども、夜の闇は長くは続きませんでした。杭に突き刺さったされこうべの目が輝き始め、草地は真昼のように明るくなったからです。恐ろしさからワシリーサが立ちすくんでいると、森の中からバリバリと不気味な音が聞こえてきました。臼に乗って杵で漕ぎ、枯れ葉を踏みしだいて、その跡を箒で掃き消しながら、ババ・ヤガーが現れました。老婆は門の所まで来ると動きを止め、辺りを嗅ぎまわってがなり立てました。 「くん、くん。ロシア人の臭いがするよ。誰だい、そこにいるのは」ワシリーサはこわごわ近づくと、丁寧に頭を下げて言いました。「お婆さん、私です。継姉さんたちが、お婆さんの所へ火を貰いに行くようにって私をよこしたんです」「そうかい。あの子らのことは私も知っているよ。それなら、まずは私のところで働くんだね。そうしたらお前に火をやろうじゃないか。いやなら食べてしまうよ」言い終わると、ババ・ヤガーは門に向かって言いました。「私の頑丈な閂よ、とっとと外れよ。私の広き門よ、とっとと開け」門が開き、ババ・ヤガーが口笛を吹き鳴らしながら中に入ると、ワシリーサもそれに続き、再び門は閉じられました。部屋に入るとババ・ヤガーは長くなって寝そべり、ワシリーサに言いました。「ペチカに入っているものを、みんなここへ出しておくれ。腹がぺこぺこだ。それと、穴倉から飲み物も取ってきておくれ」ワシリーサはペチカの中の夕食を並べました。ご馳走は十人分はあり、穴倉からはクワス(ライ麦から作った清涼飲料水)、蜜、ビール、ワインを持ってきました。ババ・ヤガーはそれをみんな平らげ、ワシリーサに残してくれたのは、ほんの少しのスープとパンひとかけ、それに仔豚の肉一切れきりでした。食べ終わるとベッドに入り、ババ・ヤガーは言いつけました。「明日、私が出掛けたら庭を掃いて小屋の中を片付け、夕食を作って、洗濯をするんだよ。それから穀物置き場へ行って小麦五俵を出して、雑草の種を選り分けておいておくれ。これが全部できなければお前を食べてしまうからね」言い終わるとババ・ヤガーは大いびきをかいて眠り始めました。ワシリーサはババ・ヤガーの食べ残しを人形の前に置いて、泣きながら言いました。「お人形さん、食べてちょうだい。そして私の悩みを聞いて。ババ・ヤガーが大変な仕事を言いつけて、もし全部できなかったら食べてしまうって脅かすのよ。助けて」 すると人形はこう言うのです。 「うるわしのワシリーサ、心配しなくていいのよ。ご飯をおあがりなさい。そしてお祈りをしてお休みなさい。一晩眠ればいい知恵が浮かぶでしょうから」あくる朝、ワシリーサは朝早く目を覚ましましたが、ババ・ヤガーはもう起きていて、されこうべの火が消えようとしているのが窓から見えました。その時白い騎士が駆け抜けていき、すっかり夜が明けました。ババ・ヤガーが外に出てピューと口笛を吹くと、臼と杵と箒が現れました。その時、赤い騎士が駆け抜けていくのがチラリと見えました。日が射し始め、ババ・ヤガーは臼に乗ると杵で漕ぎ、その跡を箒で消しながら庭から出て行きました。一人残ったワシリーサは、小屋の中を見回して、あらゆるものが沢山あることに驚きました。さて、何から手をつけようかと迷いましたが、見ると仕事はもうみんな出来ています。人形は、小麦の中から最後の混ざりものを選り分けているところでした。「ああ、あなたが私を助けてくれたのね。あなたのおかげで私は救われたわ」「あとは食事を作るだけですよ、ワシリーサ。さあ、上手にお作りなさい。それから、ゆっくりお休みなさい」そう言って、人形はワシリーサのポケットに入りました。日が暮れかけたころ、門の外を黒い騎士が駆け抜けていきました。とっぷりと暮れて、闇にされこうべの目だけが光る中、木をバリバリと爆ぜさせ、枯れ葉をカサカサ踏みしだいて、ババ・ヤガーが帰ってきました。出迎えたワシリーサに、老婆は言いました。 「みんな出来てるだろうね」 「どうぞ見てください、お婆さん」 ババ・ヤガーは全てを見て回り、何一つ文句のつけようがないので、忌々しそうに「まあ、よかろう」言いました。そして大きな声で続けました。「私の忠実なしもべどもよ、我が友たちよ、小麦を粉に挽いておくれ」すると三組の手が現れ、小麦を抱えて消えました。ババ・ヤガーはたらふく食べて横になると、またワシリーサに仕事を言いつけました。「明日も今日と同じようにおし。それから、穀物置き場からケシの実を持って来て、一粒ずつ奇麗に土を落とすんだよ。誰かが悪戯で土を混ぜたらしいんでね」言い終わると、ババ・ヤガーは壁の方に寝返りをうっていびきをかき始めました。ワシリーサは人形にご馳走をし、それを食べると、人形は昨日と同じように言いました。「お祈りをして、それからぐっすりお休みなさい。一晩眠ればいい知恵が浮かびます。仕事はきっと、みんな出来ますよ、ワシリーサ」あくる朝、ババ・ヤガーはまた臼に乗って庭から出かけ、ワシリーサは人形と一緒に、たちまち家事を済ませてしまいました。日が暮れて帰って来たババ・ヤガーは、家の中をじろじろと検分してから怒鳴りました。「私の忠実なしもべどもよ、我が友たちよ、ケシの油をしぼっておくれ」すると三組の手が現れ、ケシの実を抱えて消えました。ババ・ヤガーは食事をし、ワシリーサは黙って立っていました。 「どうして黙っているんだい。まるで口がきけないみたいだね」 「今まで遠慮していたんです。でも、もしお喋りをしてもよいのなら、二つ三つお訊ねしたいことがあります」「訊きたければ訊くがいい。だけど、何を訊いてもいい返事が返るとは限らないよ。知り過ぎれば早く年をとると言うだろう」「私が訊きたいのは、この目で見たもののことだけです。ここへ来る時、白い馬に乗って白い顔をした、白い装備の騎士が私を追い越して行きました。あれは誰なんですか」「あれは、私の明るい昼さ」「それから別の騎士が私を追い抜きました。赤い馬に乗って赤い顔をして、赤い装備でした。あれは誰なんですか」「あれは、私の赤い太陽だよ」「それじゃあ、この門のところで私を追い越して行った、黒い装備の騎士は?」「あれは、私の暗い夜だよ。みんな私の忠実なしもべなのさ」 ワシリーサは三組の手のことを思い出しましたが、黙っていました。 「何故、もっと訊かないのかね」「これで充分です。お婆さんが今仰ったでしょう、知り過ぎると早く年をとるって」「お前が家の中のことを訊かず、外で見たことしか訊ねないのは感心だよ。私は、内輪の秘密を洩らされるのが嫌いでね。詮索好きは食べてしまうことにしているのさ。今度はお前に訊くが、どうして私が言いつけた仕事を、みんなちゃんとこなせたのかい」「母さんの祝福が私を護ってくれているからです」「そういうわけだったのかい! じゃ、さっさと出て行っておくれ、祝福された娘さんよ。祝福された人間に用はないからね」こう言うとババ・ヤガーはワシリーサを部屋から引きずり出し、門の外に押し出してしまいました。そして一本の杭から、目が赤々と燃えているされこうべを一つ取り、棒の先に刺してワシリーサにくれました。「さあ、この火を継母の娘たちに持ってお行き。火種を貰うために、お前はここに寄越されたんだろう」ワシリーサは、されこうべの灯りを頼りに、家に向かって駆け出しました。その火は昼の間は消えていました。あくる日の夕方、ワシリーサはやっと家に辿り着きました。門の所まで来ると、ワシリーサは「きっともう、家では火種はいらないわね」と思って、されこうべを捨てようとしました。ところがされこうべの目が輝いて、中からうつろな声が聞こえました。 『私を捨てないで、継母の所へ持っていきなさい』 見れば家は真っ暗で、どの窓にも火は灯っていません。されこうべの灯を持って家に向かうと、継母と娘たちは手の平を返したようにワシリーサを優しく出迎えてくれました。というのも、ワシリーサが出て行ってからというもの、火打ち石では何故か火がつかず、隣近所から貰ってくれば部屋に入った途端消えてしまい、ずっと火がなかったと言うのです。「ひょっとしたら、お前の灯なら消えないかもしれない」と、継母は言いました。ところが、されこうべを持って部屋に入ると、その目がギロリと継母と娘たちを射すくめ、じりじりと焼きつけ始めました。隠れようと何処へ逃げてもどこまでも視線は追っていき、朝までには三人はすっかり炭になっていました。けれども、ワシリーサだけは火傷一つ負いませんでした。あくる朝、ワシリーサはされこうべを土に埋め、家に鍵をかけると、町へ出て行きました。そして身寄りのない老婆の家に住まわせてもらい、父親の帰りを待つことにしました。 ある日、ワシリーサは老婆に言いました。 「お婆さん、何もしないでいるのは退屈なんです。いちばんいい麻を買ってきてくださいな。私、それを紡ぎます」老婆が一番上等な麻を買って来ると、ワシリーサは仕事を始めました。仕事ははかどり、髪の毛のように細く滑らかな糸が出来ました。糸が沢山たまったので布を織ろうと思いましたが、ワシリーサの糸に合う筬[おさ]がなく、作ってくれる職人もいません。ワシリーサが人形に相談すると、人形は言いました。「古くなった筬[おさ]と杼[ひ]と、馬のたてがみを持って来てください。そうしたら、私が作ってあげましょう」ワシリーサはそれらを集めてベッドに入りましたが、人形は一晩で、見事な機織り機を作ってくれました。冬が終わるころに布は織り上がりました。その薄いことと言ったら、丸めれば糸の代わりに針の穴に通せるほどでした。春にはそれを真っ白に晒して、ワシリーサは老婆に言いました。「お婆さん、この布を売ってください。お金はお婆さんが取ってくださいね」「まあ! こんなものは皇帝陛下しかお召しにならないよ。陛下のところに持っていきましょう」老婆は宮殿へ行くと、その沢山の窓の前をうろうろしました。皇帝が窓からそれを見つけて「何用かね」と声を掛けました。「陛下、珍しいものをお持ちいたしました。あなた様のほかには、誰にもお見せしたくありません」皇帝は老婆を中へ通すように命じ、布を見て驚きました。「いかほどかな」「陛下、これに値段はございません。あなた様への贈り物として、差し上げたいのでございます」皇帝は老婆に礼を言い、沢山の土産を持たせて帰しました。皇帝はこの布でシャツを縫おうと思いました。ところが、それを縫える縫い子がいないのです。どんなに探しても見つからないので、とうとう皇帝は老婆を召し出して言いました。「こんな布を紡いで織ることのできるお前なら、シャツを縫うことも出来るはずだ」「いいえ、陛下。これを紡いで織ったのは私ではございません。私の養女[むすめ]なのでございます」「では、その娘に縫わせよ」家に帰った老婆に一部始終を聞くと、ワシリーサは「最初から、こうなるだろうと分かっていました」と言いました。ワシリーサは部屋に閉じこもると仕事にかかりました。片時も手を休めず、やがて十二枚のシャツを縫いあげました。老婆がそれを皇帝の所へ持っていくと、ワシリーサは顔を洗い、髪を整え、服を着替えて窓辺に座り、起きることを待っていました。見ると、皇帝の家来がこちらへ向かってきます。そして家に入ると言いました。「皇帝陛下は、シャツを縫った腕利きの縫い子に、直接お会いになりたいと仰っておられる。ご褒美を手ずからお渡しになりたいと言うのだ」ワシリーサは宮殿へ向かいました。皇帝は、うるわしのワシリーサを一目見るなり、我を忘れるほど恋してしまいました。 「なんと美しい娘よ。もう離れられない。私の妃になっておくれ」 皇帝はワシリーサの白い手を取って自分の隣に座らせ、すぐに婚礼が挙げられました。間もなくワシリーサの父親が旅から帰って来て、娘の幸せを聞いて喜び、一緒に暮らすことになりました。ワシリーサは老婆も引き取りました。そしてあの人形は、生涯ポケットに入れて離すことがありませんでした。 参考文献 『ロシア民話集』 アファナーシエフ著 中村喜和編訳 岩波文庫 1987. 『ロシアのむかし話・2』 金光せつ編訳 偕成社文庫 1991. 2012年 01月 26日
体のない頭の話 ロシア シベリア ケト族 昔、夫婦がいた。夫は狩りに出かける時に妻に言った。 「糸を紡いでおいてくれ。網を編むからな」 妻はせっせと糸を紡いだが、ひと巻きしか出来なかった。夫が帰って来て「紡げたか」と言うので、背中に隠したひと巻きを右から左からチラチラと見せて沢山あるように見せかけた。ところがいざ夫が網を編み始めるとすぐに糸はなくなった。妻が実はひと巻きしか出来なかったと打ち明けると、夫は怒って妻をひどく殴り、そのまま家から放り出した。妻は泣きながら家の裏の道を歩いて行った。やがて一本道に出た。人の骨と犬の骨しかない、淋しい道だった。その果てに大きな家が一軒あった。妻が入ってみると誰もいない。外に出て耳を澄ますとガヤガヤと騒がしい声がした。まるで大勢の人間がやってくるように思えたが、来たのは一人。声があまりに大きいので大勢の話し声に聞こえたのだろうか。何頭もの馬が荷ぞりに干し草を積んでやって来た。その先頭にいるたった一人は、なんと、頭だった。頭だけがコロコロと転がってくるのだ。その頭が馬に声をかけると、馬は独りでに付いてくるのだ。馬小屋に着くと頭は叫んだ。 「門よ、開け。馬小屋の門よ、開け!」すると馬小屋の門が開いて馬たちが中に入った。 「フォークよ、干し草をおろせ!」干し草用のフォークが独りでに下ろす。それを確認して最後に頭は言った。 「縄よ、独りで解けよ!」 こうして荷ぞり一台分の干し草が片付いてしまった。このようにして頭は全ての荷ぞりの干し草を片付け、馬をそれぞれの場所に入れ、干し草を与え、最後に馬小屋の門を閉じた。それから母屋に行き、テーブルの上に乗って「御馳走よ、テーブルの上に並べ!」と唱えた。存分に飲み食いすると、頭はこう呟いた。「さてと、どこに寝ようか。ベッドに寝るか。いやいや、落ちて怪我をする。ペチカの上がいいか。いやいや、コロリと落っこちる。――臼よ、木臼よ、家の中に来い!」 木臼がやってくると、頭はそれによじ登り、コロンと中に入って、グーグーいびきをかき始めた。 どうしてやろうか、と妻は思った。それで杵を取って来て、眠っている頭に振り下ろした。何度も、何度も。頭は悲鳴を上げたが、構わずに臼の中で搗き砕いたのだ。 そうしてから、妻はこの家で一人で暮らすことにした。ところが、頭がそうしていたように「馬小屋の門よ、開け!」と唱えても門は独りでには開かない。仕方なく手で開けて中に入り、「フォークよ、馬に干し草をたっぷりやっておくれ!」と唱えても、フォークはぴくりとも動かなかった。 何もかも一人でやらなくてはならなくなって、女は困り果てた。今はまだ干し草があるから何とかなるが、この先どうすればいいのだろう。そこへ、狩りの途中の夫がたまたまこの家に立ち寄った。入ってみると妻が住んでいる。馬も何頭もいるすごい家だ。夫は一緒に暮らさせてくれ、また二人で暮らそうともちかけた。 「私をさんざん殴っておいて、今度は私のところに押しかけて住まわせてくれって言うの? また私を殴るつもりなの?」「とんでもない、もう殴るもんか」 「いいわ。殴らないって言うのなら一緒に暮らしましょう」 「頼むから、腹を立てないでくれ」 それで夫婦はまた一緒になり、豊かに暮らしたという。 参考文献 『シベリア民話集』 斎藤君子編訳 岩波文庫 1988. 2012年 01月 26日
2012年 01月 25日
未来 (みらい、英: future)は、これから来る時や時代を指す語である。「過去」と対義、「後年」と同義である。同義の「後年」、「将来」、「これから」などと違って、「未来」の語には「これから来るべき新時代は現在より良くなっている」という希望的観測が感じられ「瑞祥語」として使用される。また、この先に何が待っているかは全く分からないという、不安に近いニュアンスも併せ持っている。20世紀において、「21世紀」は明るい未来の象徴であった。 2012年 01月 24日
2012年 01月 24日
ダイキン工業など、スギ花粉が細胞を一部破壊する有毒性を持つことも解明 ダイキン工業と京都大学は、スギ花粉がアレルゲンとしてヒトに作用するだけでなく、ヒトの鼻やノドから肺へとつながる粘膜を構成する「気道上皮細胞」に炎症を引き起こし、細胞を一部破壊する有害性を持つことを明らかにしたことを発表した。ダイキン工業と京都大学大学院工学研究科の高野裕久教授との共同研究によるもので、成果は2012年11月29日から12月1日に開催される第62回日本アレルギー学会秋季学術大会にて共同発表される予定だ。今回の研究は、ダイキン工業が2004年に開発した「ストリーマ放電」技術によって微細に分解されたスギ花粉が細胞に対して有害性を持たないことを立証する目的で実証試験を開始。ストリーマ放電は、従来困難とされていた「高速電子」を安定的に発生させることに成功した空気浄化技術で、プラズマ放電の一種。酸化分解力の高い高速電子を3次元的・広範囲に発生させるため、一般的なプラズマ放電(グロー放電)と比べて、酸化分解力が1000倍以上になり、この強い酸化分解力により、ニオイや菌類・室内汚染物質のホルムアルデヒドなどに対しても持続的な除去効果があるという特長を持つ。これまでにも、強毒性インフルエンザウイルス(H5N1)、弱毒性インフルエンザウイルス(H1N1)やノロウイルス、食中毒の原因となる毒素や細菌といった、さまざまな有害物質の不活化効果があることを、大学および公的研究機関との共同研究で実証してきている。今回の試験では、自然界に存在するスギ花粉そのものと、ストリーマ放電を照射し、分解したスギ花粉をそれぞれ気道上皮細胞に接触させて細胞の反応を観察した。ちなみに、スギ花粉が花粉症を発症する仕組みは、ヒトの体内に侵入するとことでアレルゲンとして作用し、生体の防衛機能として過剰な免疫反応を引き起こす結果である。今回の実証試験では、自然界に存在するスギ花粉そのものを接触させた細胞が炎症反応を示し、時間の経過と共に細胞の破壊に至ることから、スギ花粉がアレルゲンだけでなく、ヒトの細胞に対する何らかの有害性を持つことがわかった形だ。また、ストリーマ放電を照射したスギ花粉を接触させた気道上皮細胞は、自然界のスギ花粉をそのまま接触させた気道上皮細胞に比べて、炎症反応が小さく、生存率が高いことを実証している。 試験概要は以下の通り。 1. 正常なスギ花粉に、ストリーマ放電を2、4、8日間照射2. 正常なヒト気道上皮細胞を培養後、ストリーマ放電未照射の花粉およびストリーマ放電を照射した花粉花粉(100/1000μg)をそれぞれ曝露3. ストリーマ放電を照射した花粉を曝露させた細胞の一部は、曝露24時間後に、細胞培養液に含まれる「IL-6」(細胞が炎症反応を起こすときに産生されるタンパク質)の量を「ELISAキット」(IL-6に反応すると発色する抗体)を使って測定(IL-6 ELISA法)4. ストリーマ放電を照射した花粉を曝露させた細胞の一部は、曝露21時間後に、生存細胞に反応して発色する試薬「WST-1」を加え、培養装置内で3時間静置(曝露:計24時間)し、細胞増殖/生存率を測定(WST-1発色法)し試験結果は、自然界に存在するスギ花粉をヒトの気道上皮細胞に接触させるとIL-6の産生量が増大し、一方でストリーマを照射した花粉を接触させた細胞は自然界の花粉をそのまま接触させた細胞に比べてIL-6の産生量が少ないことから、スギ花粉はヒトの気道上皮細胞に対して炎症を引き起こす有害性を持ち、ストリーマ放電はその有害性を抑制するという結論に至った。さらに、自然界に存在するスギ花粉をヒトの気道上皮細胞に接触させると細胞増殖/生存率が低下し、一方でストリーマを照射した花粉を接触させた細胞は自然界の花粉をそのまま接触させた細胞に比べて細胞増殖/生存率が高いという結果が得られた。つまり、スギ花粉は細胞の一部を破壊する有害性を持ち、ストリーマ放電はその有害性を抑制すると結論づけられることとなった。 2012年 01月 22日
Web写真 Web写真(ウェブしゃしん)とはwebをメインの発表の場とした写真のジャンル。 インターネット環境とデジタルカメラが普及した2000年頃から自然発生的に誕生した。デジタルカメラやカメラ付き携帯電話が小型化し、日常生活の中で常にカメラを携帯することが出来るようになったため、それまでの写真表現では注目されなかった日常の風景を切り取ったものが多い。 写真だけを並べたような比較的簡単なウェブページからflashを駆使したもの、写真共有サイトFlickrやブログを利用したものなど発表方法は様々である。 上書き更新していくように一過性の発表をするものや、反対にサーバの限界まで貯め込むものなど、「webで写真を発表する」という以外に共通点がない。デジタルカメラの発展による高画質の画像をアップするサイトがある一方で、低画質の画像を大量にアップするサイトもある。またデジタルカメラを使わずフィルムカメラで撮った写真をスキャナなどで読み込んで発表する方法もある。トーマス・ルフの「ヌードシリーズ」のようにアダルトサイトの画像を画像処理したものなど、元来の撮影行為の意味を越えて、web上の画像を自身の作品として扱う表現手段などもある。一方で小林のりおは「なぜヤフオク図鑑か」というシリーズで、商品の写真を撮り、その画像をYahoo! オークションに掲載することで、その場をWeb写真展の空間にした。(→ 『なぜ、植物図鑑か』)これらの多様性そのものが「Web写真」であると言える。被写体としては写真に撮ることの出来るもの全てがこの対象になると思われるが、肖像権の問題などからポートレートや町中で人物を撮ったスナップ写真は少なめである。「インターネットとデジタルカメラがそこにあったから」という消極的な見方もあるが、それまでの写真展、写真集などでの写真の発表に対して、時間や空間などの制約を受けずに写真を表現する場を得たいという積極的な姿勢も見るべきである。Web写真家として発表する上で気を付けなければいけないのは(Web写真に限らず、ホームページ制作上、当然考えなければならない問題であるが)閲覧者の環境(マシンスペック、OS、ウェブブラウザ、ディスプレイのキャリブレーションや画面サイズ、通信速度)の問題など、制作者の意図通りに表現出来ない部分があるということである。 Web写真家の例 [編集] 小林のりお 内原恭彦 関連書籍 [編集] 「デジグラフィ デジタルは写真を殺すのか?」(飯沢耕太郎、中央公論社、2004年)ISBN 4120034887 2012年 01月 22日
MP1 MP1は写真を主とした制作活動を行う1980年代生まれの美術家エグチマサル・藤本涼・横田大輔・吉田和生によるプロジェクト。 星野太(表象文化論)が企画立案に参加。 2011年秋以降、東京・横浜を中心に複数の展覧会を開催予定。 The MP1 is the project by artists, Masaru Eguchi, Ryo Fujimoto, Daisuke Yokota and Kazuo Yoshida, who were born in 1980’s. It conducts creative activity mainly based on photography. Futoshi Hoshino, researcher in the field of studies of Culture and Representation, assisted to draw up the project. Exhibitions, centering on Tokyo and Yokohama, scheduled to be held after the autumn of 2011. 拡張される網膜 媒介の擁護 MP1は、エグチマサル、藤本涼、横田大輔、吉田和生の四名の作家によって構成される展示プロジェクトの名称である。2011年秋に横浜・新港ピアで開催された「拡張される網膜」を皮切りに、現在も東京都内のギャラリーやウェブ上で複数のプロジェクトが進行している。 彼らの作品が前景に引き出すのは、外界との接触面としての網膜と、その拡張された平面としての写真の姿である。しかしそもそも網膜とは何か。それは人間の視覚にとって不可欠な、しかし同時にあくまでも中間的なものにとどまる器質である。一般に生物がものを見るとき、網膜はその身体と外界をつなぐ接触面をなしている。網膜の外側には茫漠とした世界があり、その内側には大脳皮質をはじめとする視覚情報のコード化を担うシステムがある。われわれが視覚的イメージを形成するために不可欠な網膜は、同時に外界と神経を媒介する(メディエイト)ための経路でもある。言いかえれば、あらゆる視覚的経験の中間(メディウム)に位置する網膜は、同時にその不可欠な媒質(メディウム)でもあるのだ。言わばそれは極めつけの「メディア」である。印象(impression)と表現(expression)のいずれかに重きを置くすべての思考は、実のところ、こうした中間的媒質としての網膜を透明な存在とみなすことによって成立している。エグチ、藤本、横田、吉田の作品が、周到に計算されていながらもあくまで受け手に爽快な印象をもたらすのは、彼らの作品がみなこうした素朴な二元論から手を切っているからである。彼らの写真作品に映し出されているのは、写実主義的な外界の痕跡でもなければ、表現主義的な内面の吐露でもない。「ストレート」な写真からは明確に距離をとる彼らの写真は、逆説的にもわれわれが世界を目にするときの複雑さを驚くべき精度によって再現する。つまり、ある意味でそれは、われわれの視覚的経験を成立せしめる不純な媒介としての網膜の拡張された姿なのである。彼らの作品が映し出すのは、生物が世界を経験するためのメディアとしての、拡張された「網膜」の姿にほかならない。 星野 太 Defense of Medium: A Note to “Expanded Retina” MP1 is a group of four artists: Masaru Eguchi, Ryo Fujimoto, Daisuke Yokota, and Kazuo Yoshida. In fall 2011, they held an inaugural exhibition titled “Expanded Retina” at Shinko Pier in Yokohama, as part of the Yokohama Triennale 2011. They are now preparing a forthcoming exhibition and other projects in Tokyo. In their work, you can find the metaphor of the retina, and of the photograph as its expanded field. Confronted with this image, you might ask yourself what the essence of the retina is. For human beings, the retina is the essential organ of sight—it is, necessarily, always in between us and the world, enabling our vision to connect us to it. When we see something, the retina functions as a membrane of contact between the body and the world. The world remains outside, while the visual system is in charge of bringing visual information into the body and analyzing it there. The retina, which is indispensable for producing visual images, is also the organ that mediates between the world and the nervous system. In other words, the retina is the “medium” of the visual process, the most fundamental of visual media. This fact is often forgotten in the visual arts, where we often presuppose a dichotomy of impression and expression or realism and expressionism. This dichotomy can be upheld only when you misunderstand the retina as a transparent medium. Eguchi, Fujimoto, Yokota, and Yoshida reject this simplification and resist it in unique ways. In their work, you will not find the pictorial trace of the world, nor the emotional expression of the artist. Their pictures represent the complexity of the world by keeping their distance from “straight photography.” They reflect on the impurity of the retina as a visual medium. This is why their work can be conceived as an “expanded” retina—the essential medium for experiencing the world. Futoshi Hoshino 2012年 01月 20日
アニマ(anima)は、ラテン語で魂を表す単語である。 分析心理学の創始者、カール・グスタフ・ユングは、「すべての中で最も顕著な自律性の集合体である。それは男性の女性との相互作用と女性への態度を影響と同様に、夢の中に現れる像としてそれ自身が現れる。アニマ・アニムスの過程を想像力の一つの源である」、とみなした。 その影に対するものが「apprentice-piece」で、その影にたいするものが「masterpiece」であると言った。 アニマ(anima) 男性の無意識人格の女性的な側面を元型と規定した。男性が持つ全ての女性的な心理学的性質がこれにあたる。男性の有する未発達のエロス(関係の原理)でもあり、異性としての女性に投影されることもある。幼年期の母の投影に始まり、姉妹、おば、グノーシス主義におけるソピアーまたは「叡智」と呼ばれる段階で結ばれる、教師の要素を持つ将来の性的伴侶及び続く関係に続く典型的な発展における四重の理論を唱えた。 アニムス(animus) 女性の無意識人格の男性的な側を意味する。 女性の有する未発達のロゴス(裁断の原理)でもあり、異性としての男性に投影される。 アニマと比べて集合的であり、男性が一つのアニマしか持たないのに対し、女性は複数のアニムスを持つとされた。女性が精神の中に類似の、男性的な属性と潜在力であるアニムスを持つと信じた。 フィルム・インタビューで、アニマ・アニムスの原形が、「ほんの僅かな意識」または無意識と呼んで、完全に無意識のものであるかどうかは明らかにしなかった。恋に落ちた男性が、女性自身よりも寧ろ自身の無意識の女性像であるアニマと結婚した事に気付き、後になって盲目な選択に後悔するのを例に出した。 2012年 01月 20日
アニメーション アニメーション(英: animation)は、動画(どうが)とも呼ばれ、コマ撮りなどによって、複数の静止画像により動きを作る技術。連続して変化する絵や物により発生する仮現運動を利用した映像手法である。animation(アニメーション)は、ラテン語で霊魂を意味するanima(アニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する。 2012年 01月 19日
ぬいぐるみ たくさんのぬいぐるみ ぬいぐるみ(縫い包み)とは、型紙に合わせて裁断された布を縫合し、綿やプラスティック片、蕎麦殻などを内部に詰め、動物やある特定のキャラクター等に似せて成型したもの。 または、舞台やイベント、各種催事などにおける、布やボア、プラスチック素材などで表面を形成した、人間が中に入るマスコット、衣装のこと。または、東宝の『ゴジラシリーズ』などに代表される、おもに「特撮映画」に登場する、特殊ゴム素材などを用いた、演技者が中に入る形式の怪獣やロボット、宇宙人などの異生物の造形物の、現場における用語。 後二者はマスコミなどから「着ぐるみ」と呼ばれることも多い。 2012年 01月 18日
1.セクシュアリティとは セクシュアリティとは、以下のように定義されています。 ■ 「性にかかわる欲望と観念の集合・・・自然と本能ではなく、文化と歴史に帰属する」 (女性学事典,岩波書店,2002) ■ 「セックスは両脚の間(性器)に、セクシュアリティは両耳の間(大脳)にある」 (カルデローン,アメリカ性情報・教育協議会創設者) もう少し具体的にみると、アメリカ心理学会の見解では、「セクシュアリティの構成要素」が以下の4つにまとめられています。 性的指向(sexual orientation) 生物学的性(biological sex) 性自認(gender identity) 社会的性役割(gender role) 1. 性的指向 : ある特定の性(gender)を持つ人に対する持続的な魅力(例えば、情緒的魅力、恋愛対象としての魅力、性的魅力、情愛を注ぐ対象としての魅力) 同性に対して魅力を抱く同性愛(ゲイ(男性・女性の同性愛者両方を指す)) 異性に対して魅力を抱く異性愛(ヘテロ) 異性・同性のどちらにも魅力を抱く両性愛(バイセクシュアル) これらに加え、異性と同性の両方ともに魅力を抱かない「Aセクシュアル」という立場もあります。 2. 生物学的性 : 性器の男女差 セクシュアリティを構成するものとして、生物的な性も含みます。 しかし、これらも男女の二分法だけで考えていてはいけません。 Cf. インターセクシュアル(半陰陽、ふたなり) 生物学的に男性と女性の特性を持ち、解剖学的に男女の区別の判断ができない中間性を有する状態、あるいはそのような人のこと。最も典型的な例は、卵巣と精巣の両方をもつ「真性半陰陽」。出生時や幼少時に、本人の同意なく性器形成手術が行われていることが多いようです。 (参考) 半陰陽の子供達とその家族のセルフヘルプグループ http://home3.highway.ne.jp/~pesfis/ 3. 性自認(gender identity) 「性自認」とは、私が男性である、あるいは女性であるという自己意識のことです。戸籍上の性、養育上の性、身体の性、社会的性役割が一致していると認識されている状態に比して、性別違和感を持つ人もいます。 この性別違和感をひとつの疾患単位としたのが、「性同一性障害(gender identity disorder)」という概念です。性同一性障害とは、「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性別に属しているかをはっきり認識していながら、その反面で、人格的には自分は別の性に属していると確信している状態」を指します。つまり、身体の性別と心の性別が引き裂かれている状況です。そのなかでも、身体とこころの性別に対して強い不一致を感じており、形成外科的な手術で身体の性を変更したい人のことを「トランスセクシュアル(TS)」と呼びます。 一方、「トランス・ジェンダー(TG)」とは、身体の変更を必要としないで、異性装などの手段で社会的な性別を反対の性で生きる人のことです。性別違和感に強く苦しまず、自己表現の手段として男装・女装を選ぶ人も含まれます。異性装は、反対の性で生きることを象徴するため、強くジェンダーに規定された衣装になることが多くなります。たとえば、男性が女装する場合、「女らしさ」を象徴するために長い髪でスカートといった装いになったり、女性が男装する場合、髪を刈り上げたり、タバコをふかしたりといった装いになることがあります。 (参考) TSとTGを支える人々の会 http://www.tnjapan.com/home.htm 4. 社会的性役割(gender role) 社会的に規定された性役割や身体理解などの文化によってつくられた性差を指します。語源は名詞を性別化する文法的な分類にさかのぼりますが、現在ジェンダーは、男女の生物学的な二分法であるセックスと峻別して用いられています。 1950年代以降のフェミニズムより、ジェンダーはセックスを前提とした文化的性別であるとされてきました。しかし、80年代以降、ポスト構造主義フェミニズムやクィア理論から、異性愛主義の差別性、性同一性障害のケアなどが指摘され、また生殖医療技術の進歩にも伴い、男性性と女性性の対立に偏りがちなジェンダー概念への問い直しが始まっているところです。 関連用語であるジェンダー・バイアス(gender bias)とは、ジェンダーに基づく偏見のことです。また、ジェンダー・フリー(gender free)とは、ジェンダーに基づく心理的・制度的障壁からの解放を意味し、日本でも男女共同参画政策の標語として普及しました。しかし、性別の解体や性差を尊重しない主張として誤用されている場合も少なくないので注意が必要になります。 2012年 01月 16日
「今、ブルった?」 スマートフォン・ユーザーのストレスが高じると、“ファントム振動”(着信バイブがあったという錯覚)を感じるようになることがある——最新の研究がそう示唆している。英国ウースター大学の心理学者リチャード・ボールディング氏は、就業者と学生のボランティア100人を対象に計量心理学テストを行い、スマートフォンを頻繁にチェックする人は心理的ストレスを感じがちであることを発見した。このことは、スマートフォンが仕事に使われている場合に特に当てはまった。ユーザーが、ワーフクローについていくためにメッセージをチェックしなければというプレッシャーを感じているからだ。ストレスが高じると、ビジネス・ユーザーはますます頻繁にスマートフォンをチェックするようになり、実際にはアラートを受信していないのに、受信したと勘違いするようになった人も数人いた。先週発表されたこの研究結果は、職業にかかわらず当てはまるもようだ。スマートフォンを仕事のために幅広く利用することが、こうした傾向が観察されたビジネス・ユーザーの共通要素だった。英国Press Association(PA)は、「スマートフォンは急速に利用が拡大しており、これに伴ってソーシャル・ネットワーキングによるストレスも増加するだろう」というボールディング氏のコメントを紹介している。「原因が何であれ、従業員がストレスを感じていると、企業は成功しない。このため、従業員に、スマートフォンのスイッチを切り、業務時間外に送る仕事用のメールを減らし、デバイスをチェックしたいという誘惑を抑えるよう呼びかけることが、企業の利益にかなっている」(ボールディング氏)スマートフォンを業務時間外も仕事に使うことは一般化しており、2009年に英国で行われたある調査では、個人のスマートフォンを業務時間外に仕事に使っていると答えた回答者が3分の1を占めた。また、43%が、スマートフォンのせいでストレスが増えたと答えている。1960年代に電話が家庭に普及して以来、技術を使うことに伴う煩わしさが増大している面もあり、このスマートフォンの問題はその極端なものと言える。 (John E Dunn/Techworld.com) 2012年 01月 15日
“時間”はあと50億年で終わる? 宇宙が誕生して約140億年。今後も延々と存在し続けると考えている人は多い。しかし、“時間”そのものがあと50億年で終わるとする新たな研究成果が発表された。偶然にも、太陽が最期を迎える時期と重なっている。この予測は、われわれが住むこの宇宙は多元的宇宙の一部であるとする永久インフレーション理論に基づいている。その広大な構造は無数の宇宙から構成されており、各宇宙はさらに無数の孫宇宙を生み出すことができるという。 多元的宇宙の問題は、「起こり得ることは何回でも無限に起こり得る」としている点だ。この理論では、例えば「地球サイズの惑星が無数にある」確率を計算することなど、ほとんど無意味になってしまう。 論文は、コーネル大学図書館が運営するWebサイト「arXiv.org」で先月から公開されている。 2012年 01月 15日
光をコントロールすれば時間は止まる? アインシュタインは相対性理論で、強い重力場では時間の流れが遅くなると予言した。そして今回、アメリカ、コーネル大学の研究チームは時間を完全に止める実験に成功したという。光を曲げて時間の“穴”を作りだす手法で、少なくとも見かけ上は時間が止まるそうだ。この実験は、可視光線を屈折させて物体を見えなくする“透明マント”の研究成果に基づいている。光が物体に当たらず避けて通った場合、その光は散乱も反射もしないため物体は不可視となる。これが透明マントの発想だ。研究チームは、この概念を応用して時間の“穴”を作り出すことに成功した。ただし約40ピコ秒(1兆分の40秒)と極めて短い。「光の速度を上げ下げして時間的な歪みを生じさせれば、時間領域で光線にギャップが生まれる。その瞬間に起きた事象は光を散乱させず見えないため、起こらなかったも同然になる」と、研究に参加したコーネル大学の物理学者アレックス・ガエータ(Alex Gaeta)氏は解説する。「例えば、貴重な展示物を守る博物館の防犯装置を考えてほしい。行き交うレーザー光線を犯人が横切ると、検出器が反応して警報が鳴るシステムだ」。「しかし、光線の一部で速度を上げ、別の部分で速度を落とせば、瞬間的に光線が途切れることになる。このタイミングなら誰でも通り抜け可能だ。直後にすべての速度を正常に戻せば光線は元通り。検出器は“異常なし”と判断してしまう」。 ◆時間を止める 時間停止実験では、プローブめがけてレーザー光線を照射。光線は「時間レンズ」という装置を通る設定にした。従来の光学レンズを通った光は空間的に屈折するが、時間レンズでは時間的分布が変化する。「光線の時間的な特性をコントロールできる。時間領域で光を歪めて、実験のように時間の空白を生むことが可能だ」とガエータ氏は語る。研究に参加したコーネル大学応用工学物理学部(School of Applied and Engineering Physics)のモティ・フリードマン氏は、特殊なガラス光ファイバーを用いた実験手法を考案。プローブめがけて照射したレーザー光線と強力なパルスレーザー(細かく点滅するレーザー)を、その中で交差させた。「光線の周波数と波長が変わり、スピードも変化した。これで時間のギャップが生まれた」と同氏は説明する。時間の穴が生じた直後に第2のパルスレーザーで変化を解消すると、光線の特性は元に戻った。この実験では、時間の穴で起こった事象はプローブで検出されなかった。 ◆時間版“透明マント”のこれから 研究はまだ初期段階だが、時間の操作手法が確立されれば各種応用が期待できる。「応用するには、まず時間の穴を大幅に拡張しなければならない。あらゆる方向から当たる光で同様の結果を得られるよう、3次元での実証も不可欠だ」とアメリカ、ロチェスター大学光学研究所のジーミン・シー(Zhimin Shi)氏はコメントする。「しかし、コーネル大学チームの実験は、最初の一歩として非常に意義深い。われわれの暮らす時空の解明がさらに進んだと言える」。 実験の詳細は、「Nature」誌の1月5日号に掲載されている。 2012年 01月 15日
恒星の大半に惑星=銀河系に1000億個以上—地球型多く存在・国際チーム 銀河系(天の川銀河)の恒星の大半には惑星が少なくとも1個あり、惑星数は全部で1000億個以上と推定されると、米航空宇宙局(NASA)や欧州南天天文台(ESO)、大阪大などの国際研究チームが14日までに英科学誌ネイチャーに発表した。チリなどにある望遠鏡を使い、1億個の恒星を網羅的に調べた成果で、恒星に惑星があるのは例外的ではなく、普通のことと考えられるという。研究チームは、個々の恒星について、太陽系の場合なら金星から土星に相当する範囲に、質量が地球の5倍から木星の10倍の惑星が何個あるか推計したところ、平均1.6個あった。地球から50光年以内の近い所にある恒星に注目すると、惑星が少なくとも1500個ある計算になる。また、木星のように主にガスで構成される巨大惑星より、地球のような岩石質の惑星の方がはるかに多いとみられることも分かった。木星型惑星は銀河系の恒星の17%にあるのに対し、地球より質量が5〜10倍大きい岩石質の「スーパーアース」惑星は恒星の62%にあると推定された。水が液体の状態で存在できる環境の地球型惑星が見つかれば、生命を発見できる可能性が高まると期待される。 2012年 01月 14日
The bird which チルチル and ミチル are looking for. It is the bird which チルチル and ミチル are looking at. 2012年 01月 14日
チルチルとミチルが探す鳥 白日夢を信じる者と 1.白昼夢(はくちゅうむ)は、目覚めている状態で見る現実味を帯びた非現実的な体験や、現実から離れて何かを考えている状態を表す言葉。願望を空想する例が多い。白日夢(はくじつむ)、デイドリーム(英語:daydream)とも呼ばれる。 2.むかしむかし、あるところに、まずしい二人の子どもがいました。 お兄さんの名前はチルチル、妹の名前はミチルと言いました。 クリスマスの前の夜のことです。 二人のへやに、魔法使いのおばあさんがやってきて言いました。 「わたしの孫が、今、病気でな。しあわせの青い鳥を見つければ病気はなおるんじゃ。どうか二人で、青い鳥を見つけてきておくれ」 「うん、わかった」 チルチルとミチルは鳥カゴを持って、青い鳥を探しに旅に出ました。 チルチルとミチルがはじめに行った国は、『思い出の国』でした。 二人はこの国で、死んだはずのおじいさんとおばあさんに出会いました。 「人は死んでも、みんなが心の中で思い出してくれたなら、いつでもあうことができるんだよ」 おじいさんは、そう言いました。 そして、チルチルとミチルに、この国に青い鳥がいることを教えてくれました。 ところが、『思い出の国』を出たとたん、青い鳥は黒い鳥に変わってしまいました。 チルチルとミチルは、つぎに病気や戦争など、いやなものがいっぱいある『夜のごてん』に行きました。 ここにも、青い鳥はいました。 でも、つかまえて『夜のご殿』を出たとたん、青い鳥はみんな死んでしまいました。 それから二人は『ぜいたくのごてん』や、これから生まれてくる赤ちゃんがいる『未来の国』に行きました。 どこにも青い鳥はいましたが、持ち帰ろうとすると、みんなだめになってしまうのです。 「さあ、起きなさい。今日はクリスマスですよ」 お母さんのよぶ声が聞こえました。 目を覚ますと、二人は自分たちの部屋のベッドの中にいました。 青い鳥を探す旅は、終わったのです。 チルチルとミチルは、とうとう青い鳥をつかまえることが出来ませんでした。 でも、チルチルとミチルが、ふと鳥カゴを見ると、中に青い羽根が入っているではありませんか。 「そうか、ぼくたちの飼っていたハトが、ほんとうの青い鳥だったんだ。しあわせの青い鳥は、ぼくたちの家にいたんだね」 二人はお互いに顔を見合わせて、ニッコリしました。 魔法使いのおばあさんは二人に、しあわせはすぐそばにあっても、なかなか気がつかないものだと教えてくれたのです。? 2012年 01月 14日
コンピューター将棋、米長邦雄永世棋聖を下す 日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖(68)が14日、東京・千駄ケ谷の将棋会館でコンピューター将棋ソフト「ボンクラーズ」と対局する「第1回将棋電王戦」が行われ、後手の米長永世棋聖が113手で敗れた。引退して8年、タイトル獲得通算19期の歴代5位を誇る永世棋聖だが、終局直後は右手をほほに当て、唇をかみしめるしかなかった。「ボンクラーズ」は会社員、伊藤英紀さん(49)が開発し、昨年の「第21回世界コンピュータ将棋選手権」で優勝した最強ソフト。18年に同じ大会で優勝した「ボナンザ」を複数台並列に接続する「クラスター」からとって名付けられた。持ち時間は各3時間。米長永世棋聖は序盤、優位に進めたが、積極的に動き始めると、「ボンクラーズ」は待っていたかのように反撃を開始。形勢は徐々に逆転し、最後は大差がつき、午後5時14分、永世棋聖は無念の投了となった。将棋ソフトはここ数年、棋力向上が顕著といわれ、プロ棋士が公の場で対局することは禁止された。だが、19年3月には新たな棋戦のスタートを記念して渡辺明竜王が「ボナンザ」と対局、一昨年10月には清水市代女流六段が「あから2010」と対戦、渡辺竜王は勝ち、清水女流六段は負けた。終局後の記者会見で米長永世棋聖は「序盤は完璧に指したが、途中で見落としがあり攻め込まれた。私が弱いからだ。次回は棋士5人がソフト5台と同時に対戦する」と話した。勝った「ボンクラーズ」の伊藤さんは「これまで一歩一歩開発に進んできた結果です」と謙虚に話した。 2012年 01月 13日
ゲーマーは特に気をつけて! ネット中毒はアルコール・麻薬中毒と同じダメージを脳にもたらす 今や多くの人の生活において、なくてはならない存在となったインターネット。しかしそのインターネットに夢中になりすぎると、なんとも恐ろしい変化が脳に起きる。そう、アルコール中毒や麻薬中毒を患った時と同じダメージが脳に現れてしまうのだ。これは中国科学院のハオ・レイ博士をはじめとする研究チームによって明かされたもので、ネット中毒とはかなりの時間をオンラインで過ごし、ネットがないとストレスを感じてしまう状態のことを指すらしい。そして科学者たちは、ネット中毒にかかっている17人の若者とそうでない16人の若者の脳をスキャンし、その違いについて研究を行った。するとネット中毒者の脳の白質(はくしつ)神経線維に、損傷があることを発見した。この白質神経線維というのは、人の感情処理、注意力、判断力に深く関っているもので、その損傷のレベルはアルコール中毒者やコカイン中毒者のものと同じだという。そして、ネット中毒のための診療所を開いている精神科医のHenrietta Bowden Jonesさんは、ネット中毒者の特徴として次のようなことを話している。「私たちが目にする重度のネット中毒者の大多数がゲーマーです。彼らは自分たちの義務が何なのかを忘れさせるゲームに、たくさんの時間を費やすのです。彼らはゲームの世界の外でなにものとも感情的に結びつくことができず、大学の講義に行かなくなったり、卒業できなかったり、結婚が破綻したりします」物質的中毒だけではなく、行動的中毒も、脳に悪影響をもたらすことを示した今回の研究結果。食事を抜いてオンラインゲームを長時間遊んだり、一睡もせずに朝までネットサーフィンをしたりすることが多々あるという方は、この研究結果を踏まえて、くれぐれもご注意頂きたい。 2012年 01月 12日
ツイッター、フェイスブックはサラリーマンに無駄とFP語る 不況で給料も下がり、なんとかお金をセーブしたいこのシーズン。一体どのようにして貯めればいいのか? そんな疑問に応えてくれるのが、ファイナンシャル・プランナーの伊藤亮太氏である。同氏はもはや人々にとって不可欠ともいえる存在になった「ソーシャルメディア」に対し、「無駄な時間を使っている!」と異議を唱える。以下、伊藤氏の解説だ。 サラリーマンにとってFacebookは必要であろうか?どんな目的で使っているであろうか? 思うに、Facebookやtwitterは、サラリーマンにとって時間の無駄遣いに過ぎないと思う。仲間とのつながりを大切にしたいという気持ちは分かるが、毎日行動を知る必要があるのだろうか? そのうち飽きるだろう。仮に、毎日つぶやいたり、行動を記したとしよう。その時間はどのくらいかかっているであろうか。なんやかんやで1日に合計すると30分や1時間も見ている人、いいね!を押したりしている人はいないだろうか? その時間を仮に時給900円で働くことができたと考えた場合、年間で10万円〜30万円分もの価値を無駄にしているともいえる。確かに、旧知の親友と出会う可能性がある点などは良い面だとは思う。しかし、それ以外に毎日使う必要はあるのか? つぶやく必要性はあるのか? twitterやFacebookは無くても生きていけるのではないだろうか?時間をうまく使うには、何が最も重要なのかを意識しながら行動するようにしたい。サラリーマンの方にとって、私はFacebookやtwitterよりも実際に会って話して絆を深めた方がはるかによいと考える。そのツールとして利用することは結構なことだが、ゲームのように暇つぶしに利用するのであれば時間がもったいない。その分、読書や仕事、資格の取得などに時間を費やした方があなたの将来にとって明るい兆しを提供してくれるに違いない。特に、昼間携帯やPCでつぶやいたり、投稿している人はその時間の使い方を見直してみてほしい。なお、自営業者や企業、自治体などがPRする場としてのメリットは大きいかもしれない。使い方次第によっては大きな宣伝効果となりうるし、ご自身や企業を知っていただくことが「無料」でできる点は有用であるといえる。場合によっては、Facebookやtwitterにより、売上をあげることもできるといえる。佐賀県武雄市のように、市役所のホームページを全面的にFacebookに移行させ、Facebook上で特産品を販売するといった面白い試みを行うことで、大きな反響を得た例もある。しかしながら、サラリーマンにとっては宣伝しても意味がないことは明らか。通常は副業できないはずである。サラリーマンの場合は、本業やご自身のキャリアアップに時間を費やし、給料を増やすことを考えた方が合理的といえよう。 ファイナンシャル・プランナー 伊藤亮太 2012年 01月 11日
世界終末時計、1分進んで「残り5分」に 日本の原発事故も要因 ワシントン(CNN) 人類滅亡までの残り時間を象徴的に示す「世界終末時計」の針が10日、1分進められ、滅亡時刻とされる0時まであと5分となった。終末時計を管理する米科学誌「原子力科学者会報(BAS)」は時計を進めた理由として、核兵器拡散の危険性が増大したこと、福島第一原子力発電所で事故が起きたこと、テロリストが放射性物質を使った「汚い爆弾」を製造、使用する恐れがあることを挙げた。時計の針は2007年にも0時5分前まで進められたが、10年1月に核拡散の危険性が減ったとして1分戻され、0時6分前となっていた。同誌で科学、安全保障部門を率いるアリソン・マクファーレン氏は「2年前には世界の指導者らが真の脅威に対処するとの見通しが強まったが、その流れは続かず、一部では逆行している」と指摘した。科学者らは10日の会見で、核兵器の管理をめぐる問題のほか、原子力エネルギーの問題も時計を進める要因になったと述べた。ただし原子力エネルギーの将来性については見解を示さなかった。BAS理事会の共同議長、ローレンス・クラウス氏は福島第一原発の事故について、「技術面というより運営面で問題があったようだ」と語った。また世界的な問題として、エネルギーの安全を確保する政治的意志が欠けていると指摘し、迅速な行動を呼び掛けた。クラウス氏はさらに、気候変動もリスク要因のひとつだと強調。「気候変動は今起きていることであり、数値化も可能だ。人間の活動との関係も明らかだ。ただちに対処する必要性が高まっている」と述べた。終末時計は原爆開発にかかわった米科学者らが考案し、1947年にBASの表紙に初めて掲載した。近年は核戦争の危険性だけでなく、幅広い分野からの脅威を考慮して針の動きを決定している。 2012年 01月 10日
1月10日 1月10日(いちがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から10日目に当たり、年末まであと355日(閏年では356日)ある 2012年 01月 08日
ある瞬間、私はビールを飲んでいた。 その瞬間、隣から女子中学生か女子高校生かの声が聞こえてきた。 それは、2人組の女子だった。 A「そういえば、英検三級とったの」 B「ぷっ(鼻で笑うように)」「超うける」 A「Bちゃんは検定とか持ってる?私はいろいろ欲しいんだよね〜」 B「私は準二級はもってるんだけどね〜。二級もあと3点で受かったんだけどね〜」 A「そうなんだ…私の友達もあと少しでとれそうって言ってたよ。」 B「でも、二回目おちるの恥ずかしいから、受けるの躊躇してるんだよね〜まじで」 A「でも、そこはさフリーダムな気持ちでさ」 B「でも、周りの友達から馬鹿だと思われちゃってるよ、絶対。」 A「そんなこと思う、悪いやつが友達なわけ?」 B「友達っていうか、クラスのやつとか?どうでもいいけど、馬鹿だと思われるのは嫌かなって」 A「友達だったら、そこはさ?フリーダムな気持ちでさ受け入れるべきじゃない?」 B「だから、クラスのやつだからさ。あんまり興味ないしね」 A「そっか。じゃあ、受ければいいんじゃない?」 B「それよりさ、Aのお母さんって髪が超長いよね?」 A「そうだね、腰のところくらいまであるかな?」 B「超うける〜」 A「そう…?でもずっと昔からだよ?」 B「魔法使いみたいだよね」 A「そうかな…」 B「そうだよ、超うける〜まじで」 A「うけないよ、そんなこと」 B「そうじゃなくて、私ってハリーポッターとか好きだし」「ハーマイオニーかわいいし」 A「ハーマイオニーって、世界で一番かわいいランキング一番らしいよ?」 B「ありうる〜」「クラスに超似てる子いるんだよね。その子好きなんだよね〜私って」 A「外人?」 B「違う違う。」 A「じゃあ、性格が似てるの?」 B「いや、髪型だよ。髪型。」 A「フリーダムな感じなんだ?校則ゆるいの?」 B「さっきから、そのフリーダムってなに?超うけるんだけど?」 A「フリーダムっていうのはさ…あの、自由っていうか、自分の思うがままっていうかさ」 B「超うける、本気で」 A「フリーダムだからさ、私って。それに、私の家の一族って183センチのいとこ以外は皆フリーダムなんだよね」 B「うける。っていうか、アニメとか見たいよね?そう思わない?」 A「私はSF系のアニメしか興味ないかな〜」 B「あんたは日常系とかダメなんだ?まだまだ分かってないな〜」 A「そうかな?」 B「日常系って超すごいんだよ、まじで。面白すぎ」 A「私の家ってDVDないしさ」 B「私の部屋にもないよ。っていうか、自分の部屋はあるんでしょ?買っちゃえば?」 A「そうね…」 B「超うける」 A「でもさ、Bって真面目だよね?勉強とかしすぎだし」 B「そうでもないよ、結構てきとうにやってるよ?」 A「絶対ちがうよ〜かじりついてる系じゃね?」「机恋しでしょ?」 B「そんなことないけどさ、塾とか行ってると出会いもスゴいし」 A「いやいや、真面目でしょ。」 B「確かに、受験とか。徹夜で勉強とかって言葉を聞くとジーンとするけどね」 A「どういうこと?」 B「ノスタルジーっていうか、気持ちがジーンってする感じがする好きな言葉なんだよね」 A「やっぱり、真面目じゃん?」 B「違うって、私が真面目だったら超うけるじゃん?」 A「真面目に見えるよ、Bってアニメ好きだしオタクになるんじゃない?」 B「オタクになっちゃうかも」 A「そうだよ。そのままオタクでニートとかフリーターとかなったらどうする?」 B「超うける。フリーターが一番最悪」 A「ははは、私はお母さんに言われちゃった。あんたはフリーターにもなれねいよって」 B「たしかに、なるのも難しいかもね?」 A「フリーター家を買う」 B「フリーター家を買う(笑)」 AB「買えねっつうの。っつうか買えても田舎でだろうっつうの(笑)」 A「でも、私はフリーダムだからさ。海外とか行って遊んで暮らしたいっていう気持ちもあるんだよね」 B「超すごい。私は英語得意だけど、Aはダメじゃん?」 A「でも、行けば都じゃん?なんとかなるんじゃね?」 B「超うける〜ならねえっつうの」 A「…」 B「家でアニメ見てたほうがマシだっつうの」 その瞬間、私はビールを飲み干して店を出た。 |
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